解剖学実習を通して一番大きかったのは自分の価値観の変化でした。私は以前から特に死という概念やそれを連想させる物を恐れ、同時に生という概念、人体の神秘性に対し畏れのような感情を持っていました。今にして思えば、その畏れは自分がそれを理解していない或いはできない事に拠るものなのでしょう。つまり、人体について造詣を深めるにつれ人体の神秘性が私の中で徐々に弱まり、理解できないものに対する畏れも薄まっていったのです。しかし同時に、人体の一端を理解する毎にその複雑さや合理性に気づき、組織学など他科目の知識とも繋がり増していく存在感に、重ねてきた進化と時間の重みを感じ、いつしか私はその偉大さに圧倒されていました。かつて人体の神秘性に漠然と向けられていた畏れは、今やその殆どが人体の複雑さや合理性へと具体性を持って向けられています。掘り下げて因果関係を考え調べ、更に掘り下げて因果関係を調べ考え、全体を一見して理解した気になってもよく目を凝らすとその度に如何に表層的な理解なのかを実感しました。また、細部を拡大し続けて内部構造を把握してもその構造と他の構造の関係を把握せねばならず、リソース的に考えてもトップダウン方式には限界があるようにも思えました。かといってそれを打開するようなコペルニクス的転回が直ぐに閃く訳もなく、まるでフラクタル構造を拡大し続けているようなそのスケール感を見上げ、一人の人間がその全てを把握できるようなものではないのだと畏敬の念を抱きました。しかしながらこれは諦めと思考停止ではなく寧ろ、全貌も見えていなかった目標を見定める大きな一歩であると感じています。未だ何もかもが未熟ですが、まずは一人前を目指しゆくゆくはその先に歩み出せる様に、感謝の念と共に決意を新たにして解剖学実習の振り返りとさせて頂きます。